NO IMAGE

23日目 11月2日 火曜日
08:45 道の駅 出発
     今日は社会の授業で勉強した吉野ヶ里遺跡を見学して佐賀県を制覇し、
     福岡に入り太宰府天満宮に寄って、
     夜は相方さんの高校時代の同級生と会うために博多に向かいます!
     
09:00 吉野ヶ里遺跡 到着
     吉野ヶ里遺跡は遺跡と広い土地の野原の2つのエリアを持つ
     公園の中にあります。
     そして入口は野原側と遺跡側の2か所あります。
     私たちは入口が2か所あることを知らず、
     遺跡から遠いほうの入口側にやってきました。
     駐車料金300円を払い、
     駐車券があればどっちの入口の駐車場に止めてもOKだそうです。
     私たちは反対側に回るのがめんどくさくて、
     野原を散策して遺跡エリアに行くことにしました。
     そもそも吉野ヶ里遺跡とは・・・

              紀元前3世紀から紀元後3世紀までの弥生時代の遺跡です。
     弥生時代は日本で稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた時代で、
     弥生時代の遺跡の中でも吉野ヶ里遺跡は、3つの町村にまたがった日本最大の遺跡で、
     弥生時代600年間の全ての時期の遺構・遺物が発見されています。
     しかもそれぞれの時期の特徴をよく表しているものが見つかっており、
     日本の古代の歴史を知る上で極めて貴重な資料や情報が集まっているそうです。
     昭和61年から本格的な文化財の発掘調査が行われました。
     その結果、我が国弥生時代最大規模の環壕集落であることが確認され、
     また魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子を
     彷彿とさせる建物跡などが発見されたことにより、一躍全国の注目を集めました。
     平成4年に国営吉野ヶ里歴史公園として整備することが閣議決定され、
     さらに国営公園区域の周辺に佐賀県の公園区域を設け、
     国と県が一体となった歴史公園として開園しました。

   
     
      公園部分を歩くこと約5分。
      公園エリアから遺跡エリアに入ります。

      環濠を越えて遺跡エリアに入りました。
      最初に見えてきたのは「南のムラ」です。

      「南のムラ」は、吉野ヶ里集落の一般の人々が住んでいた地域と考えられています。
      復元された建物は外側だけでなく、
      建物によっては内部も復元され、自由に見学できます。

      たとえば、この食糧庫?に入ってみます。

      屋根の部分。

      細かいです。
      民家の内部はこんな感じです↓
     
      こちらも細かい!
 
      次は「南内郭」です。
      
      「南内郭」は、吉野ヶ里が最盛期を迎えた頃、吉野ヶ里の集落を始め、
      周りのムラムラを治めていた王やリーダー層の人々が
      住んでいた場所と考えられています。
      人々が住む竪穴住居が中心にあり、周囲を環壕と城柵で囲まれ、
      敵を見張ると同時に吉野ヶ里集落の権威を示すシンボル的役割を
      持っていた物見櫓と考えられる建物跡や、
      当時としては極めて貴重で、一部の有力者しか持つことができなかったと
      言われている鉄製品が数多く見つかっているそうです。
      こちらが支配者層の住居です↓

       右が支配者層の男性の家で左がその人の奥さんの家だそうです。
       屋根の形がちょっと違います。
       
       物見やぐらの上にも登ることができます。
       中には、ガイドさんがいる物見やぐらもあり、
       無料で吉野ヶ里遺跡のお話を聞くことができるみたいです。
       こちらは王様の家です。

      王様の家ももちろん入れるのですが、
      さすが、王様!
      他の家とは違います。
      ご本人と奥様がいらっしゃいましたw

     遠くから見れば本物の人間のようです。。。
     そして、弥生時代の人の顔はこのようだったんでしょうか??

     王様です。

     奥様です。
     
     若干近寄るのが怖かった。。。
     この遺跡ほんとに広いんです。

     物見やぐらから全体像を見てみました。 
     が、見えないくらい。
     次に進みます!
     次は「北内郭」です。

     「北内郭」は、吉野ヶ里集落だけでなく、吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって、
     最も重要な場所であったと考えられています。
     田植えや稲刈りの日取りを決めたり、季節ごとのお祭りの日を決めたり、
     また大きな「市」を開く日取りを決めるなど、
     吉野ヶ里を中心とするクニ全体の重要な物事についての儀礼的な話し合いと
     祖先への祀りが行われていた場所と考えられています。
     また当時は、重要な物事が話し合いでは決まらない時には、
     最高司祭者(祖先・神の声を聞くことができる特殊な能力を持った人)に
     祖先の声を聞いてもらい、その声に従って決定していったと考えられています。
     遠くの駐車場からでも見えていた立派な建物。
     それが、北内郭にある主祭殿でした。
 
     主祭殿は3階建てになっており、
     1階は大きな柱がむきだしになったスペースで、
     2階は、

     吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、
     吉野ヶ里の王やリーダーたちや、
     周辺のムラムラの長が集まっているところが再現されています。
     そして、3階は、

      祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っているところが再現されています。
      お告げの結果は従者によって2階で会議を行っている
      王やリーダーたちに伝えられるそうです。
      ここも一人ではちょっと怖いかも・・・・
      そして、次がメインです。

     メインの割には今までのような建物が見当たりませんが、
     奥の野原と一体になったような小高い丘が、
     「北墳丘墓」です。
 
     近づいてみても、よくわかりませんw
     この反対側へまわってみると、

     入口が現れます。
 
     「北墳丘墓」は、吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている
     特別なお墓と考えられています。
     このお墓は、人工的に造られた丘で、違う種類の土を何層にも積み重ね、
     しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造になっています。
     中からは14基の甕棺(かめかん)が見つかり、
     ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもありました。
     このお墓は、弥生時代の中頃、紀元前1世紀のものですが、
     その後はお墓としては使われなくなり、その代わり祖先の霊が眠る場所として、
     人々から大切にされていたそうです。

     こちらが内部です。
     今までは復元でしたが、ここは本物です。
     発掘調査されたままの姿で保存されています。

     そして、甕棺も本物で、下半分が残されています。
     中にあったわずかな遺骨や、副葬品は展示室にあるそうです。

     ちなみに、甕棺にはこのように遺体が入れられていたそうです。
     これで、遺跡も見終わり、元来た入口に戻ります。
     ただし、北墳丘墓と私たちが止めた駐車場は、正反対の位置にあり、
     地図を見ながら、一番近道を通りましたが、20分ほどかかりました;
     道すがらにあったものを写真で紹介します♪
     

      そばの花畑☆
      満開でした♪

     復元された古代の水田☆
     赤米が栽培されているそうです。
 
    小川☆
    ここが公園だと忘れてしまいそうな感じです♪
    遺跡ものどかさも満喫して、吉野ヶ里を後にします。
11:40 吉野ヶ里遺跡 出発
     この旅でよく歩いたせいで?スニーカーに穴が開いたので、
     スニーカーを求め、通り道にあるアウトレットへ♪
12:20 鳥栖アウトレット 到着
     ちょうどいいスニーカーを見つけ、太宰府を目指します☆
13:30 アウトレット 出発
     福岡県に戻ってきました♪
     どういうところかも分からず、名前を聞いたことがあるので、
     寄ります!
14:00 太宰府天満宮 到着
     車を太宰府駅の周辺に止め、参道を歩いていきます♪

     太宰府駅☆
     駅の目の前が参道。すぐ近くにもう、太宰府天満宮の鳥居があります。

     そして奥に見える鳥居をくぐって境内に入ります。

     ここで、太宰府天満宮とは・・・
     菅原道真公を祀る神社で、左遷されてこの地に来た道真公が太宰府で死去し、
     そして、この地に建てられたお墓の上に社殿が作られたのが、
     太宰府天満宮の始まりでした。
     中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより
     学問の神としても信仰されるようになったそうです。
     そういえば、関西人の私は「受験」といえば
     北野天満宮(京都)に行っていたのを思い出しました。
     天満宮とは菅原道真を祭神とする神社のことで、
     太宰府天満宮と北野天満宮は共に天満宮の総本社だそうです。
     そして、天満宮といえば、

     牛さん。
     北野天満宮にもたくさん牛の像があるのですが、
     天満宮に牛。の理由は、
     この地で亡くなった菅原道真公の遺体を牛車で違う場所に運ぼうとしていた時、
     牛が伏してその場を動かなくなったそうです。
     そして、その場所に道真公の墓所、天満宮が建てられたので、
     天満宮では牛が神牛として、境内のあちこちで見かけることができます。
     また、天満宮には鳥居から境内に入った後、本殿への間に池があり、
     池には3つの橋が架かっています。

     池の名前は心字池といい、
     池は心という文字をかたどったもので、そこにかかる橋は
     仏教思想の、過去・現在・未来を表しているそうです。 
     その他の境内内の写真です。

     菖蒲池☆
     時期ではないのですが、なんとなく変わっていたので、撮ってみました♪

     境内では今が時期の菊の展覧会?が行われてました。
     そして、こちらが本殿です↓

     そして、ここでももちろんいただきました☆

     御朱印☆
     この後勉強する予定のある私たちは、学業御守を買い、
     太宰府天満宮を出発しました♪
14:50 太宰府天満宮 出発
15:40 博多市内 到着
     待ち合わせの時間まで街をフラフラ。
     博多はとっても都会です!
     今までで1番の都会だと思います。
     
     そして何よりも驚いたのは、
     街の中から空港がとっても近いこと!
     街の上を大きな飛行機が飛んでいきます。
     相方さんの友達曰く、
     「いくつかの大きな都市に住んだけど、博多が1番空港利用に便利」
     だそうです。
     夜になり、相方さんの友達夫妻と合流し、
     博多といえば・・・の、もつ鍋を食べました♪

      こちらはみそ味♪
      お鍋2つに分けてもらい、しょうゆ味も堪能。
      おいしかった~~☆
    
      おまけにこの写真☆

      おたまなのですが、その入れ物の器がかわいい!

      ちょこんと座って、一生懸命おたまを足で支えてくれているんです♪
      初めて見ました☆
      は~ラブリー★
24:20 博多市内の駐車場 出発
24:30 天神ゆの華 到着
     本日のお風呂です。
     大人一人700円です。
     施設は新しく、きれいで、
     時間も時間なんですが、若い人が多かったです♪
26:00 天神ゆの華 出発
     本当は明日、博多市内を観光する予定でしたが、
     博多市内はもう歩いたし、
     都会にはどっちかというと惹かれないので、     
     予定変更!
    明日は一気に高速道路を使い、鹿児島まで南下します!
     ということで、今日は高速道路上のSAで車中泊することに。
26:50 大宰府IC
26:55 基山PAにて車中泊
     おなか一杯な上に、お風呂に入ってほっこりしたので、
     眠気が・・・
     おやすみなさいzzz

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!

日本一周の最新記事8件

>世界一周 海外添乗員の妻が旦那を同行 新婚旅行

世界一周 海外添乗員の妻が旦那を同行 新婚旅行

新婚旅行に世界一周をした夫婦の旅の記録と情報。そしてその後の日本での生活、子育て育児、表参道周辺の情報、ダイエット挑戦など、ちょっと変わった経歴をもつ2人の経験に則したオススメな情報などを発信しています。

CTR IMG