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マヤ文明 2012年人類滅亡説 メキシコその16

2012/06/12

2012年4月1日 日曜日

さて、朝起きてご飯を食べ、パソコンと向き合い、お昼ごはんを食べ、パソコンと向き合い、お買い物に行き、晩ご飯を食べ、パソコンと向き合う。
そんな1文で書き表せてしまうカンクンでのひきこもり生活1日目。

駆け足で巡ってきた遺跡達を築いたマヤ文明。

このマヤ文明、実は今年大注目されています。
私達も最近知った事実ですが・・・とっても不吉な予言があるのです。
そんなマヤ文明について少し書いてみたいと思います。

マヤ文明とは。

考古学者の間で「謎の古代文明」と呼ばれているマヤ文明。
この文明をつくり上げたのは、自らを「マヤ=時の民」と称した人々(メキシコ・グアテマラ先住民のマヤ族)でした。
マヤ文明の存在が世界に知られ始めたのは19世紀末。本格的に研究されるようになったのは、20世紀後半に入ってからです。
今もまだ研究が続けられているマヤ文明。多くのことが謎に包まれたままです。

マヤ文明は紀元前2600年ごろ、中央アメリカ南部で誕生し、それから数千年にわたってメキシコ南部から中米南部までの広大な範囲にわたって栄えました。しかし、9~10世紀頃、大密林の中に忽然と姿を消したしまいました。

その理由は諸説ありますが、なぜ繁栄の絶頂で突然この地上から消え失せてしまったのか今も謎のままです。
マヤ文明消滅の原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった(外敵侵入説)、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった(通商網崩壊説)、農民反乱説、内紛説、疫病説、気候変動説、農業生産性低下説など多数。
原因は1つでなくいくつもの要因が複合したと考えられているそうです。

マヤ文明は、四大古代文明(エジプト、中国、インド、メソポタミア)とは異なる次のような特徴があります。
青銅器や鉄器など金属器を持たなかった。
マヤ文明を代表する石造彫刻の逸品は、みな硬い石の道具で彫られた。
牛や馬などの家畜を持たず、車輪の原理も実用化されなかった。
基本的に人力だけでピラミッドを建設したり、物品を担いで遠距離交易などをおこなった。
地域全体を統一する王朝が生まれなかった。
全盛期には、多いときは60~70の王国が各地に存在した。
くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した。

上記以外にもマヤ文明の特徴には、
生贄の儀式が盛んであった。
とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった。
焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った。
数学を発達させた(二十進法を用い、零の概念を発明した)。
文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた。
持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた。

などがあります。

そしてマヤ文明の一番の特徴は天文学です。

マヤの人たちはは、天体の運行の周期を極めて正確に割り出していました。

例えば、太陽の運行周期は、現在知られている実際の周期とわずか17秒しか違いません。
365・2422日を、マヤ文明では、365・2421日まで計算していました。
また、月齢の周期29・53059日は、29・53086日にまで、更に金星の運行周期、584・00日は、583・92日まで求めていました。

また、マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたと言われています。
彼らの暦には目的により様々なものがあり、
宗教的、儀礼的な役割を果たしていた、一周期を260日(13日の20サイクル)とするツォルキンと呼ばれるカレンダー(月の暦)や、
1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダー(太陽の暦)があります。
また、ワイエブ月を除いたハアブ暦(360日)とツォルキン暦(260日)の組み合わせが約13年(13トゥン)ごとに一巡する、これをベースとして4サイクルの約52年を周期とする考えや、この他、より大きな周期も存在していたそうです。
このようなカレンダーの周期のことをカレンダー・ラウンド(rueda calendárica)というそうです。

カンクンから車で約3時間ほど行ったところにある、チチェン・イツァ遺跡には、マヤ人が天体の運行を観測したとみられる、天文台が残されています。また、この遺跡にはカスティーヨと呼ばれる美しいピラミッドには、高度な天文知識に基づいた、巧妙な仕掛けが施されています。
それは後ほどチチェン・イツァを訪れた時に詳しく・・・

先に述べた周期のうちの1つ、52年の周期。
実はこのマヤの人達暦が日本の歴史上の出来事に当てはまるという面白い記事を見つけました。

マヤ文明は「過去に起きた大変事は必ず未来に繰り返される」との考えから、その繰り返しの周期を知るために様々な暦を発明していました。
その1つが『52年周期』。
『月の暦』の260日と『太陽の暦』の365日の最小公倍数の1万8980日=52年。
52年ごとに1つの時代が終わり、新しい時代が始まるというマヤ人の人々の考え方がここにあらわされているというのです。

日本の歴史で見てみると・・・

1997年。誰も予想しなかった大銀行や大証券会社の破綻が続いた年。
それを日本経済の敗北ととらえたマスコミは「日本の第二の敗戦の年」と騒ぎ、
逆に金融ビッグバンによる外国金融機関の日本進出を「大改革」のチャンスと見る評論家たちは「第三の開国の年」と名づけました。

これをマヤの52年周期の暦を使って読み解くなら、1997年が日本にとって「敗戦」「大改革」「開国」の年となることは、あらかじめ予測できていたはずなのだそうです。

なぜなら・・・・
1997年の52年前、1945年は、日本が太平洋戦争に破れた「敗戦の年」でした。

1997年の52×2年前、1893年は、日本と英国の間で新しい条約を結ぶことが決まり、幕府が外国と結んだ不平等条約を廃止することに初めて成功した年、日本が世界の列強の仲間へと脱皮しはじめた「大改革」の年だったのです。

1997年の52×3年前、1841年は、イギリスとオランダの軍艦が琉球・長崎に次々と現われ、そのためしかたなく幕府は外国船打ち払い令を事実上廃止、ついに「開国」への第一歩を踏み出した記念すべき年なのです。

ただの偶然かもしれません。
でも、ちょっと興味深いですね。

さて、マヤの暦で最近、特に今年注目されているものがあります。

それが、2012年人類滅亡説。

古代マヤの予言者たちはすでに9世紀の時点で、それから600年以上も未来の歴史的大事件、西暦1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見と、それに続くマヤ・アステカ文明の崩壊を正確に予言していました。
信じ難いことですが、古代マヤの地で「白人の到来」が予言されていたことについては様々な証拠資料が存在し、世界中すべての考古学者が認めている歴史学的に証明されている事実だそうです。
そして、古代マヤの予言者たちはこうも予言していました。
「この世界は13バクトゥンが完了する日に滅び去るだろう」
バクトゥンとはマヤの暦で使われた時間の単位で、1バクトゥン=14万4000日です。
その計算にしたがうと、上記の言葉はこうなります。
「この世界は西暦2012年12月21日の金曜日に滅び去るだろう」
何とも恐ろしい予言です。
果たして本当にこの世界は、西暦2012年12月21日(金)に滅び去ってしまうのでしょうか。

1999年のノストラダムスの予言は当たりませんでした。
さて、マヤの予言は?

滅びるにしろ、滅びないにしろ、そんな歴史的な予言の日に自分が生きていられることが嬉しいとかなり楽観視しているKeikoでした。

引きこもり生活をもう少し続けま~す♪

パレンケ遺跡で見かけたおみやげのマヤ・カレンダー。

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