2011年9月9日 金曜日
ドブロヴニクの綺麗な景色とお別れ。
バスターミナルから朝8時のバスに乗り、目指すはボスニア&ヘルツェゴビナのMostarモスタルという町。
バスのチケットとは別に荷物をトランクに預ける料金が荷物1つに付き、8クーナまたは1ユーロかかりました。
料金は直接ドライバーさんに支払い。
ドブロヴニクは実はクロアチアの飛び地。
アドリア海沿岸に沿って伸びるクロアチア。
ドブロヴニクの少し北、アドリア海沿岸約10キロにわたってボスニア&ヘルツェゴビナの領土があります。
モスタルへはこの約10キロボスニアの領地を横切り、一度クロアチアに戻った後、ボスニアに再度入国するといった複雑な経路。
つまりクロアチア→ボスニア→クロアチア→ボスニアと3回国境を越えるわけです。
8時にドブロヴニクを出発し、きれいな海岸線を見ながらバスはひたすら北に走っていきます。
約50分後、1つ目の国境に。
ドライバーさんがマイクを使って「パスポートを用意してください。」と車内放送。
バスに警察官が乗り込んできて、1人ずつ入念にチェック。
誰も、バスのトランクにパスポートを入れていた人はいなかったので、さくさくっと国境通過。
国境を越えてすぐにトイレ休憩。
というか、ドライバーさんの朝食休憩??
途中お客さんを乗せて満席になったバスは、2度目の国境に。
さっきより適当にパスポートをチェックされ、さっさと通過。(笑)
走り始めてから約2時間。
海岸線にお別れを告げ、内陸部へ。
すぐに変わった景色が窓の外に広がっていました。
一見、普通の農地なのですが、植えられているのは木。
しかも種類が全く別々。
でも、個人用とは思えないほどきれいに整備された農地は、水路に囲まれていました。
面白い!
ドブロヴニクを出発してから約2時間半、3度目の国境に到着。
ここで本当にクロアチアを出国します。
が、国境はかなり混んでいました。
なかなか警察官がバスに乗り込んでこず、国境について約15分後、警察官が乗り込んできてパスポートを持っているかどうかだけ確認されて以上。
なんとなくボスニアに入国しました(笑)
窓の外の景色を楽しんでいるうちに、11時20分ごろ、目的地のモスタルに到着しました♪
まずは、ボスニア・ヘルツェゴビナとは。(ちょっと長いです。)
ボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴスラビア連邦を構成した共和国の一つで、約430万人の人口の民族構成はムスリム系44%、セルビア系33%、クロアチア系17%だった。
旧ユーゴ連邦の崩壊が進む中、1992年4月、同共和国の独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族が同共和国全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難民・避難民200万と言われる戦後欧州で最悪の紛争となった。
1995年12月、デイトン和平合意の成立により戦闘は終息。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、ムスリム系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」及びセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」という2つの主体から構成される一つの国家とされた。
それぞれの主体が独自の大統領、政府を有するなど、高度に分権化されている。
現在、治安も概ね安定している。ただし、スルプスカ共和国において政府や議会の民族主義的な言動や反ディトン合意的な姿勢が目立ち、情勢は安定していない。
そして、私たちがやってきた、モスタルとは。
ボスニア・ヘルツェゴビナ南部にある都市で、ヘルツェゴビナ地方(ボスニア・ヘルツェゴビナの北部がボスニア地方、南部がヘルツェゴビナ地方)の最大の中心都市で、ボスニア・ヘルツェゴビナでは5番目に大きな都市。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争期には事実上独立したヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の首都であった。
市内の中にはネレトバ川が流れている。
モスタルの地名は町でもっとも有名なネトレバ川にかかる橋、スターリ・モストにちなみ「橋を守る人」を意味する。
バスターミナルに着く前、バスの中から見えた町中の建物の壁には穴が。
もしや銃痕!?
と思いながらちょっとさびれたバスターミナルに着いたわけです。
ここのバスターミナルでも客引きさんがいます。
私たちはいつも通り予約していますが。
今回もクロアチアに引き続き個人宅の1室に泊ります。
ここモスタルのおうちはNina Hostelニナ・ホステル。
名前はホステルですが個人宅。
ピックアップサービス付きで、ピックアップをしてくれる人をきょろきょろ探しますがいません。
一度「予約があるから。」と断った客引きのオッチャンが、戻ってきて「予約した宿の名前聞いていい?」というので、「Nina Hostel。」というと、客ひいきのオッチャンオバチャンの群れの中にいた、1人のオバチャンに「きみんとこの客だぞ。」という感じで呼んでくれました。
そのちょっと?恰幅のいい優しそうなオバチャンが、ニナ・ホステルのママでした。
ほんとはオバチャンの義理の息子が私たちをピックアップすることになっていたのですが、私たちと間違って誰かをピックアップしてホステルに向かったそう。
ということで、オバチャンの車に乗って宿に向かいました♪
車の中ではオバチャンが町の説明をしてくれました。
「このモスタルの町は、紛争で全部破壊されてしまったの。壁にあいている穴は、銃弾の跡。ここ(大きな廃屋)は元のショッピングセンター。私は紛争中、1年間ノルウェーに難民として行っていた。日本人って魚が好きなのね、だからみんなおなかが出てないのね~。ここはお肉料理ばかり。だから・・・。でも、この町の川でもいい魚が捕れるのよ。あ、あそこが有名な橋ね。ここが、ホステルよ。」
という具合で、あっという間に宿に到着でした(笑)
本日1日の宿Nina Hostelはkazuが「Ninaさんがかわいい」という評判で決めたおうち(笑)
評判通り、このホステルの持ち主Ninaさん夫妻の若妻Ninaさんはとってもお茶目でかわいい人でした♪
お部屋も清潔。
1泊20ユーロ(40マルク)。
旧市街にあるこの街のシンボルの橋、スターリ・モストまでは徒歩約5分の立地のいいところ。
荷物を置いてさっそく街にお昼ご飯を食べに出かけました♪
観光は涼しくなってから(笑)
少し歩くだけで、廃墟になった家や、
壁にたくさん銃弾の跡が残る建物がいっぱい。
町中のいたるところに。
そして、ここに狙われた人がいたんだなとわかる銃弾の跡も。
このモスタルの町は15世紀後半から19世紀後半にかけてオスマン帝国の領域下にありました。
なので、町の建物はオスマン時代の影響が色濃く残っています。
建物だけではなく、料理も。
ボスニア料理はオバチャンが言ったように肉料理が中心で、トルコ料理やギリシャ料理と似た料理が多いそうです。
本日の昼は、Bregdzinicaというお店で、こちらのファーストフード的な食べ物、ブレク。
ブレクBurekは挽肉・玉ねぎなどの詰め物を薄いパイ生地で細長く巻き鉄板で焼いた料理。
ちょっと表現が悪いですが、蛇のとぐろのような感じです(笑)
私たちが入ったお店では4種類のブレクがあり、私はお肉、kazuはポテトを選択。
ほかの選択肢はほうれんそうとチーズでした。
おいしい!!
しかも1皿2マルク、約100円です。
ここボスニアは物価が安いので、多分毎日外食になるでしょう(笑)
ご飯屋さんを探すときに少し町を歩いただけで、暑さに負けて宿へ。
体力勝負の旅。
なるべく体力温存のため、暑い時間帯はおとなしくしています。
ただめんどくさがり屋だという説も(笑)
ちょっとだけ観たお昼のモスタルの町↓
こちらが町のシンボル、スタリ・モスト。
スタリ・モストの川下にかかる橋から見たスタリ・モストとモスタルの町。
スタリ・モストの南側の川沿いの街並み。
後は、お部屋で作業作業。
涼しくなり始めた夕方、明日にはこの町を出てしまうので観光に出かけます。
だらだらしているうちに太陽はどっかに行っちゃいました・・・。
宿を出て、目指すは“スタリ・モスト”!
両脇のお土産屋さんに目を奪われつつも、この町のシンボルの橋にやってきました。
1566年、オスマン帝国の支配下にあった時にこの橋は建設されました。
橋台を用いず、両岸からアーチ状にかかる橋。
橋の両側には塔があります。
橋の東側。
橋の西側。
橋の上から見た町。
この街が紛争の時にほとんど破壊されたと宿のママから教えてもらいましたが、このシンボルの橋も1993年に破壊され、2004年に再建されました。
なんとか、暗くなる前に橋を見れたので、あとは町をプラプラ。
スタリ・モストの近く、名前の分からない橋、ちびスタリ・モスト。
橋の近くにはお土産屋さんやレストランが集まっています。
夕闇の中のお土産屋さんがとっても綺麗。
少し町をプラつき、晩御飯を食べに、できるだけ観光レストランっぽくないところを選んで入ってみました。
(観光地にある時点で観光レストランだよ!って言わないでください笑)
入ったレストランはスタリ・モストの西側にあるTima Irma。
メニューはこんな感じ。
私たちがオーダーした本日のボスニア料理の晩御飯その1。
チェバブチチCevapcici。
挽肉のソーセージ。
揚げて焼いた?パンの中央を開いて挟んであります。
添えられているの生玉ねぎ。
ソーセージおいしい!
その2。
サラダ。
普通です(笑)
その3。
プリスカヴィッツァpljeskavica。
ボスニア風ハンバーグ??
ひき肉を丸い形にして焼いたもの。
おいしい!!
ただし、チェバプチチと似てます(笑)
宿のママさんの言うとおり、“お肉”の国の洗礼を受けました♪
ボスニアのビール。
これだけ食べて飲んで、約200マルク(約1000円)。
安くておいしいです☆
あたりは真っ暗になったので、町のライトアップを見るため、橋へ。
ライトアップされたスタリ・モスト。
橋の東側。
橋の西側。
橋の上から見た町。
スタリ・モストを渡り街の中から見た橋のライトアップ☆
夜の町を少しお散歩。
カラジョズ・ベゴヴァ・ジャミーヤ。
木材を使用している建物がトルコの影響を受けた伝統家屋のようです。
ボスニア・ヘルツェゴビナ1日目はこれで終了。
明日は、電車で首都のサラエヴォに向かいます♪