2011年9月11日 日曜日
毎年この日が来ると、やっぱり思い出しますね。
もうあれから10年が経つのですね。
アメリカ同時多発テロ以降、イラク戦争が開始された時、なんで戦争なんかするのだろうかと、苛立った覚えがあります。
でも、やっぱりそれでも遠い外国でのことでしかありませんでした。
私たちが今いるボスニア・ヘルツェゴビナでは、2003年に始まったイラク戦争より、たった約10年前に民族紛争がありました。
日本がした戦争は自分が生まれるよりずっと前のことで、体験した人から話は聞けても、資料館に行けても、実際の生活の中で“戦争”を自分の体で感じることはできませんが、モスタルでもそうでしたが、ここサラエヴォでは、町を歩くだけで戦争の爪痕を自分の目で見ることができます。
そんな生々しい戦争の跡も残りますが、それでも復興に力を入れ、優しく明るい人が多いサラエヴォの町を観光してきました。
朝の涼しいうちにおうちを出発。
まずは、旧市街の北東にある坂を上った先のVratnikという門を見に行ってみました。
この門は、オスマン帝国時代に建てられ、城壁と塔を持っていたそうです。
こちらの門の横には城壁が。
来た道を戻り、バシチャルシァ広場へ。
坂の途中には、丘一面に真新しい墓標の並ぶ墓地が。
墓標をよく見ると、1992年や1993年の数字が並んでいます。
紛争で亡くなった方のお墓がたくさん並んでいました。
余談ですが。
ここボスニアでは墓石に、顔写真を加工した顔の彫刻を入れることが珍しくないようです。
この墓地にも本人の顔の彫刻入りの墓石がありました。
また、クロアチアからバスでボスニア南部のモスタルに向かったとき、道端にはたくさんの石碑がたっていて、おそらくそこで亡くなった方(多くが軍服を着ていました)の顔が彫られていました。
観光客もまだいない旧市街の中をてくてく。
昨夜ライトアップしているところを見た、モスクへ。
ガジ・フレスヴ・ベイ・ジャミーヤ。
中庭には木造の噴水が。
噴水の天井部分がステキ。
ガジ・フレスヴ・ベイ・ジャミーヤの正面に建つガジ・フレスヴ・ベイイスラム関連施設。
西に歩いていくと、街並みが変わります。
旧市街を一歩出ると、周りはヨーロッパ風。
そのなかにカトリック大聖堂がありました。
大聖堂裏のボシュニャク人機関の建物。
青空市場。
青空市場の西側の通りを北に進み階段を上ってすぐ左手にある建物。
こちらオリンピック関連の建物だそうです。
1984年のサラエヴォ冬季オリンピックで使われた建物のようですが、現在は戦争の爪痕だけが残る廃墟です。
民族紛争が起こる前にオリンピックがあったなんてなんとなく想像ができません。
実際にオリンピックで使われた五輪スタジアムは鉄道駅の北側にあります。
紛争中、犠牲者の遺体の置き場に困り、五輪スタジアムの補助グラウンドが使われたそうです。現在ではそこが墓地になっているそうです。
その墓地の隣にはオリンピック博物館があるそうです。
ここからトラムの3番に乗って市内全域を車窓から見てみました。
偶然やってきたトラムがイチゴ柄!
ボスニア・ヘルツェゴビナ中央銀行。
サラエヴォでもっとも有名なホテル、ホリデイ・イン。
紛争中も営業を続け、ジャーナリストがここにたむろしたそう。
このホリデイ・インから西側のトラムが通る大通りはスナイパー通り(狙撃兵通り)と呼ばれていました。
紛争中、この通りでは動くものすべてがセルビア人狙撃兵の標的となり、子供や女性、老人も狙撃されたそうです。
3番のトラムはスナイパー通りをすべて車窓から見れます。
通りの両脇にはたくさんの紛争前に建てられた大きなアパートがあります。
今も人が住み続ける建物の壁には銃弾の跡が。
よーく見ると、銃弾の跡が1か所に集中していたり。
自分がいるこの場所で銃弾が飛び交っていたなんて。。。
スナイパー通りを走り終えた3番のトラムは空港近くで折り返します。
ちなみに、1周はできないので、1度トラムを降り、乗りなおす必要があります。
スナイパー通りをもう一度通って旧市街に戻ってきました。
この街で有名なもの、もう1つ。
“サラエヴォ事件”の起こった場所へ。
サラエヴォ事件とは。
1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者フェルディナント大公夫妻が、当時オーストリア領のサラエヴォを視察中、セルビア人の青年プリンツィプによって暗殺された事件。
この事件をきっかけとして第一次世界大戦が勃発した。
その事件が起こったのがここ。
昨日、ホステルに送り届けてくれた人に「暗殺犯の建っていた場所に足形があるよ。」と、言われたので一生懸命道路を探しました。
結局見つからず、近くの建物の中から狙撃したのかな~と思っていたのですが、、、
さっきネットで調べたら、暗殺犯は車の横から銃で殺害したそうです。
そして、道路にあった犯人の建っていた場所の足形は取り除かれたそうです。。。
情報が古いですよ・・・
暗殺場所の横の博物館の建物の壁には事件当時の写真や映像などが展示されています。
こちらが暗殺犯のガブリロ・プリンツィプ。
ガラスが反射して見えにくいですが・・・。
セルビア人の彼は、セルビアでは第一次大戦後、英雄だったそうです。
そして、この事件現場の目の前には“ラテン橋”という橋があり、ユーゴスラビア崩壊まで“プリンツィプ橋”という名前で呼ばれていました。
ラテン橋。
こんな感じで、サラエヴォの観光は終了~
お昼ごはんお昼ごはん♪
昨日のお昼のレストランに迷わず直行(笑)
kazuは昨日の牛モツにはまったので、本日もそちらを注文。
私は、おじさんのお勧めに従いこちら。
そして今日はみんなが飲んでいるスープも注文♪
昨日はまったヨーグルトドリンクも頼んで、お昼ごはんが豪華~
そして本当においしい!
昨日の夜のお店もほんとにおいしかったですが、このお店は肉肉しくなく、優しい家庭的な味。
おじさんたちが1人で食べにやってくるのも納得!(笑)
暑くなり始める前におうちへ!(笑)
こんな乾燥している32~3度で暑いと言っていて、今後大丈夫なのかな。。。
私たち、このままアフリカ→南米と夏を追いかけて旅をしていく予定なのですが・・・。
涼しいおうちの中で午後をすごし、外を見ればもう夕焼け。
おうちから見える景色が赤く染まっています。
そろそろ外に出かける時間。
夕飯はちょっと冒険。
お客さんがたくさんいるちょっとこぎれいな観光客向け?レストランPeticaに入ってみました。
メニューは昨日の夜のお店に似た感じ。
頼んだのはソーセージ。
と、レバー焼き。
そして、ヨーグルトドリンク。
見た目は食べるヨーグルトですが、これをスプーンを使わずに飲みます。
味は・・・。
決してまずくはないのですが、おいしいレストランを知ってしまったあとでは、駄目でした。
やっぱり、昨日の昼と今日の昼行ったお店Ascinicaと、昨日の夜行ったお店Zeljoがお勧めです!!!
ここサラエヴォでご飯が食べれるのも明日のお昼1回だけ。(朝はパンで済ませているので。)
午後には、飛行機でチェコの首都プラハに向かいます。