メクネスへ日帰り旅

メクネスの新婚旅行お勧め度(5段階)

Keiko: ★★
Kazu: ★★★

良い点
・観光客に見向きもしない(面倒な”人たち”がほとんどいない)
・スークが入り組んでいない

悪い点
・スークで売られている物は生活用品がほとんど
・2時間もあれば観光が終わってしまう

2011年8月2日 火曜日

今朝は朝から電車に乗り世界遺産の街Meknesメクネスへ。
メクネスまではFez(Fes)フェズから電車で約40分、片道大人1人20DH(約200円)です。
そこまで物価が安いとは思わないモロッコで、電車やバスなどの交通機関は安いです。

メクネスには鉄道駅が2つあります。
1つはGare de Meknesメクネス駅。

もう1つはGare Amir Abdelkaderアミール・アブデルガデル駅です。

アミール・アブデルガデル駅の方が新市街の中にあり、メディナ(旧市街)から近いです。

私たちもこの駅で電車を降り、駅近くのバス停からバスに乗りメディナの入口にあるPlace el Hedimエディム広場を目指しました。

ここで、メクネスについて。
メクネスは、11世紀にアル・ムラービト朝によって軍事施設として建設されました。
その後、アラウイー朝のムーレイ・イスマイル(治世 1672-1727)によって王都とされ、壮大な門を要所に設けた高い城壁の中に、ヒスパノ・モレスク様式の都市が造り上げられました。
17世紀マグレブ のイスラム様式とヨーロッパ様式の調和の取れた組合せが特徴の都市だそうです。

メディナに向かう時、どこでバスを降りればいいか心配する必要はありません。
多くの人がここでバスを降りるので♪

通りの向こうがエディム広場。

エディム広場の北側にはスークをはじめメディナが広がり、道を挟んで正面の南側には城壁があり、とっても目立つBab el Mansourマンスール門があります。

城壁の裏一帯はムーレイ・イスマイールが造ろうとした王都の跡があります。

まずは、マンスール門に圧倒され、写真を。

ただし逆光で色が綺麗に映りません。。。
このマンスール門は北アフリカで最も美しい門の1つと言われているそうです。

それにしても観光客がいません!!
私たちだけです。

城壁をくぐった先のララ・アウダ広場。

広場を通って右の方向へ進み、Koubbet el Khiyatinクベット・エル・キャティンへ。
かつてムーレイ・イスマイルが外国大使と接見したり、様々な儀式の観覧席として使用したところです。

どこがそれなのだか。。。
その建物の北側にはキリスト教徒の地下牢があるそうなのですが、それもどこかわかりません。。。

とりあえずここだろうと思って写真をとっておきました(笑)

今ネットで検索するとあっていたようなあっていなかったような。
上の写真の奥の建物から入ればよかったようです。

ちなみにここにあるキリスト教徒の地下牢は現在は100m×100mくらいの部屋だそうですが、昔は7㎞×7㎞くらいあったとか。
そこに4万人もの人が閉じ込められていたそうです。。。
もともとこの王都を作ろうとしたムーレイ・イスマイルはキリスト教徒で、イスラム教に改宗したようです。
以前は同じ宗教を信じていたのになぜなのでしょう…

アブ・カーリー門を抜け、Tombeau de Moulay Ismailムーレイ・イスマイル廟へ。

非イスラム教徒が入れる唯一の廟だそうです。

入口を入りどんどん奥に行くと、中庭に出ます。

中庭の奥に靴を脱ぐ場所があり、靴を脱ぎござの上を歩き建物の中へ。

そこにはこのメクネスに壮大な王都を建設しようとし、達成しないまま亡くなったムーレイ・イスマイルさんが眠るミラハーブの間とその手前の噴水を囲んだ部屋があります。

この時間誰もいなく私たち二人だけでこの空間を貸切。

イスマイルさんの眠る部屋には非イスラム教徒は入れないので、その手前の部屋をじっくり。

最後はござの上に座ってじっくり観察。
イスラム文化の最高傑作といわれるだけあり、モザイクや漆喰彫刻が素晴らしい。

この部屋に入る手前の中庭からイスマイルさんのお墓を見ることができます。

ここに眠っているそうです。

豆知識。
このイスマイルさん、あることでギネスブックに載っているのだとか。
その記録とは、子だくさん。
「ムーレイ・イスマイル(1672-1727)は、1703年までに合計525人の息子と342人の娘をもうけ、1721年には700人目の息子をもうけたという」とギネスブック1989年版に載っているそうです。

広大な王都を築こうとしたのはこのため?それとも広大だからこんなに子供を??
いろんな意味ですごい人のようです。

ムーレイ・イスマイル廟を出て、壁伝いに南のほうへ。
Bab er Rifリフ門(風の門という意味)を抜けると、高い壁に両側を囲まれ、まーーーーっすぐ伸びた道、風の道に到着。

右側は王宮だそうです。

こんなの見たら歩く気にもなれずw
逆戻り。

せっかくなので、王都の中の住宅街を歩いてみました。

でも、やっぱりここでも迷子。
もう迷子にも慣れてきました(笑)
行き止まりにぶつかり、戻っては違う道をためし、適当に進んでいると元の場所に戻ってきました。
う~ん…通りぬける気でしたが、あきらめてメディナに向かうことに。

バスを降りたエディム広場に戻り、広場の北にあるスークの中へ。

広場の横にある陶器屋さん。
タジン鍋がわらわらと。。。

スークの適当に歩きます。
マラケシュ、フェズのスークと違いほとんど声をかけられません。
ただし、この町のスークは全く観光客用ではなく、地元に住む人用。

ここが一番安いだろうと思い、できればバブーシュなど買っていきたかったのですが、見つかるバブーシュ屋さんにおいてある品の質の悪さに購入をあきらめました。

プラプラとスークを歩き、観光終了(笑)
やってきて約2時間、もうフェズに帰ることにしました。

涼しかったスペインからやってきて2人も夏バテぎみ。
フェズの夜は涼しいのですが、なんとなく二人ともやる気が起きず。

帰りは鉄道ではなく国営のバスCTMに乗って帰ることにしました。
ガイドブックに書いてあった7番のバスにマンスール門前から乗り、地図とにらめっこ。

メクネスの町中を走るCity Busシティ・バス。

スタディアム前で何か勘違いした運転手さんに、「ここだよ。」と、言われました。
私たち一切行き先を告げてもいないのに。

相方が運転手さんに地図を見せ、CTMのバスターミナルに行きたいことを告げると、このバスでは行かない模様。

ただし、フランス語ももちろんアラビア語もわからない私たち。
親切な乗客の一人が何か説明してくれましたが全く分からず。
バスの乗客の皆さん心配してくてました。
そして、親切な乗客の方とバスのドライバーさんが話し合ってくれ、何かしてくれる様子。
終点までやってきて、ドライバーさんがおいでおいで。
隣に止まっていた14番のバスに連れて行ってくれて、そのバスのドライバーさんに何か説明してくれて、そのバスに乗ることに。

無事その14番のバスでCTMのバスターミナルに着くことができました。

モロッコにも親切な人がいっぱいです!!(今日まで接したモロッコの人は勧誘の人のみだったので。。。)

ただし、バスの時刻表を見ると次のバスは17時。
現在12時半。
そんなに待てません。。。
チケット売り場の人に聞くと、鉄道の中央駅まで歩いてすぐということなので、歩いて中央駅に行き電車で帰ることにしました。

CTMのバスターミナルから中央駅までは徒歩約5分ほど。
予定していなかったのですが、メクネスにある2つの駅両方とも利用することに・・・。

チケットを購入し、時間があったのでお昼ご飯を食べれるところを探しに駅の近くを歩いてみましたが、見つからず。

昨日偶然、イスラムの断食”ラマダン”が昨日から始まったことを知ったので、ちょっと悪い予感。

メクネスでご飯を食べることをあきらめ、フェズに戻ってから食べることにしました。

こちらが、私たちがモロッコ国内を東西南北移動した電車。

フェズに電車で戻り、初日に行ったレストランに行ってみましたが、悪い予感は当たりラマダンで開いておらず。
それどころか、すべて飲食店は閉まっている模様。

観光客用に開いているレストランもあるかもとちょっと期待していましたが、ここフェズの鉄道駅周辺ではないようでした。

しょうがないので、開いているキオスクでポテチチップスを買ってホテルに戻りました。
空腹に耐え日が暮れるのを待ちます。

ホテルのレセプションで聞くと、たぶん夜9時ごろにレストランはあくだろうというので、
ちょっと早めの8時半にホテルを出て、この際何でもいいからレストランを…と探しますが、開いておらず。

結局、昨日の日記で書いたように、ホテルの中のレストランでモロッコ最後のディナーを済ませました。

モロッコではマラケシュならラマダン中も営業するレストランはあるはずと地元の方は言っていました。
ただし、フェズではそうはいかないようです。

ラマダンの時期にイスラム教国を旅する方はお気を付けください…。

明日、早朝にフェズを立ち、アフリカにあるスペイン領のメリリャという町から、フェリーでスペインのマラガに帰ります!!

本日のおまけ写真はネタが尽きてしまいました(笑)

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