33日目 11月12日 金曜日
07:50 道の駅 出発
本日は四国から本州にしまなみ海道を通って渡り、
広島の名所を観光します!
※注 今日は説明の文章がいっぱいですww
08:20 今治IC近くパーキング 到着
観光を始める前に朝食を食べていきます☆
08:50 パーキング 出発
これからしまなみ海道に入っていきます!
08:50 今治IC
しまなみ海道とは、正式名を西瀬戸自動車道といい、
1999年に開通した(?いろいろ説があるそうです)本州四国の連絡道路です。
広島県尾道市の西瀬戸尾道ICを起点とし、
向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島などを経て
愛媛県今治市の今治ICに至る、全長59.4kmの道路です。
しまなみ海道には、
新尾道大橋、因島大橋、生口橋、多々羅大橋、大三島橋、
伯方橋、大島大橋、来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、
来島海峡第三大橋の10本の橋が架かっています。
また、自動車専用道路ですが、自転車、歩行者専用道路も併設されています。
通行料金は、自転車と原付が9本の橋と尾道大橋の合計で510円、
歩行者が無料だそうです。
橋の出入口に料金所(料金箱)が設置されているようです。
料金箱には係員が常駐しておらず直接投入するようになっていて、
釣り銭が出ないそうです。
徒歩&自転車&原付の方は橋梁部だけしまなみ海道を利用し、
そのほかの部分は一般道路を利用するようです。
海上を自転車で渡ることができる珍しい道路であることから、
サイクリストや自転車愛好家には特に人気の高いルートだそうです。
また、尾道から今治までの間には、
自由に相互の乗り捨てが可能なレンタサイクルのターミナルが
10箇所設置されています。
2年ほど前に私は家族と一緒に本州から四国に向かって
途中の島で降りて観光しながら、しまなみ海道を横断したことがありますが、
今回は四国から本州に抜ける反対側のルートでしまなみ海道を渡ります。
しまなみ海道には途中サービスエリアが3つあるのですが、
四国から本州にわたる方向には2か所だけしかありません。
写真を撮ろうと途中2か所のサービスエリアに立ち寄りましたが・・・
あまりいい見晴らしではなく。。。
2年ほど前に反対側を渡ったときは
きれいな景色を見ることができた記憶があるのですが、
反対側はあまりそうでもないみたいです。
橋はとってもきれいで、橋の上から下の島を見るときれいなのですが、
高速道路なのでゆっくり走ることも、立ち止まることもできず・・・
時間がある方は徒歩もしくは自転車で渡られるといいと思います!
デジタル一眼の便利な機能のドライブモードをこの時ばかりと使用して、
何とか1枚橋の写真を撮りましたw
ちなみにサービスエリアから、反対側のサービスエリアまで
歩いて行ける連絡通路があるので、
反対側のサービスエリアからの景色を見たい方は行くことができます。
ただし、数百メートル、数キロあるようです・・・
そして、車の場合も途中の島で高速道路を下りて観光すれば
たくさんきれいな景色を見ることができるのですが、
この日は前日に引き続き黄砂が舞っていてかすんでいたので、
なんとなく途中で下りる気にならず、
土日割引の1000円でしまなみ海道を渡り切りましたw
10:15 向島料金所
ここから広島市の方向に向かいます。
少し複雑で、高速道路がつながっておらず、
一度一般道を走りふたたび高速道に入っていきます。
10:35 尾道IC
まずは広島市内にあるとっても有名な場所に向かいます。
11:20 広島IC
ここから一般道を走り、原爆ドームを目指します。
兵庫県出身の私は何度か訪れたことがありますが、
埼玉県出身の相方さんはまだ行ったことがないということで、
世界遺産にもなっている原爆ドームを見に行きます。
11:40 原爆ドーム近くのパーキング 到着
車を原爆ドーム近くの駐車場に止め、徒歩で原爆ドームに向かいます。
どこでも見られる都会の街並みの中に
急に痛々しくもどこか威厳のある建物が現れます。
原爆ドームの名で知られる広島平和記念碑は、
日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える被爆建物です。
もとは広島県物産陳列館として開館し、
原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていました。
御存じの通り、ユネスコの世界遺産に登録されており、
“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、
とくに負の世界遺産と呼ばれています。
原爆投下前にはここで、ドイツ人の菓子職人であり、
株式会社ユーハイムの創業者であるカール・ユーハイムにより、
日本で初めてバウムクーヘンの製造販売が行われたそうです。
1945年8月6日午前8時15分17秒(日本時間)、
アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、
原爆ドームの西隣に位置する相生橋を投下目標として
原子爆弾を投下しました。
投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・
上空約580メートルの地点で炸裂しました。
原爆炸裂後、建物は0.2秒で
通常の日光による照射エネルギーの数千倍という熱線に包まれ、
地表温度は3,000℃に達したそうです。
0.8秒後には前面に衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風が襲い、
350万パスカルという爆風圧(1平方メートルあたりの加重35トン)に
さらされたそうです。
このため建物は原爆炸裂後1秒以内に
3階建ての本体部分がほぼ全壊しましたが、
中央のドーム部分だけは全壊を免れ、
枠組みと外壁を中心に残存したのだそうです。
ドーム部分が全壊しなかった理由として、
①衝撃波を受けた方向がほぼ直上からであったこと、
②窓が多かったことにより、爆風が窓から吹き抜ける条件が整ったこと、
③ドーム部分だけは建物本体部分と異なり、
屋根の構成材が銅板であり、銅は鉄に比べて融点が低いため、
爆風到達前の熱線により屋根が融解し、爆風が通過しやすくなったこと、
などが挙げられているようです。
ドーム部分は全体が押し潰される程の衝撃を受けなかったため、
爆心地付近では数少ない被爆建造物として残りました。
原爆ドームは原子爆弾の惨禍を示すシンボルとして
知られるようになりましたが、1960年代に入ると、
年を追って風化が進み、危険であるという意見が起こり、
また一部の市民からは
「見るたびに原爆投下時の惨事を思い出すので、取り壊してほしい」
という根強い意見があり、存廃の議論が活発になったそうです。
一時は取り壊される可能性が高まっていましたが、
1人の女子高校生、楮山(かじやま)ヒロ子さんの日記が流れを変えました。
彼女は1歳のときに被爆し、15年後の1960年、
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、
おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」等と書き遺し、
被爆による放射線障害が原因とみられる急性白血病のため亡くなりました。
これを読み感動した平和運動家たちにより保存を求める運動が始まり、
1966年に広島市議会は永久保存することを決議し、
翌年保存工事が完成し、
その後風化を防ぐため定期的に補修工事をうけながら、
現在まで保存されています。
私が最後にこの建物を見たのは小学生の頃だったので、
大人になって改めてこの建物を見て、
言葉では言い表せない
(どう言い表せばいいのか10分ほど考えましたが、
出てきませんでした;)
複雑な感じがしました。
せっかくなので、原爆ドームから川沿いに歩き、
橋を渡った対岸にある平和記念公園のほうまで行ってみることにしました。
平和記念公園の入口に、これもまた有名な銅像があります。
原爆の子の像という名のこのモニュメントは、
1958年5月5日に完成した、
像のモデルである佐々木禎子さんの同級生等による
募金運動により作られた像です。
像のモデルの佐々木禎子さんは、2歳の時被爆しましたが、
幸いけがもなく、元気で活発な少女に成長しました。
ところが、10年後の小学校6年生の時に突然白血病と診断され、
8か月間の闘病生活の後、1955年10月25日に短い生涯を終えました。
禎子さんは「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、
薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました。
病気を乗りこえ、懸命に生きようとした「サダコ」の物語は、
ヒロシマの悲劇の象徴として、日本だけでなく海外でも広く語り継がれています。
禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちは、
「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」
と全国へ呼びかけました。
やがて、子どもたちによる募金活動が始まり、
日本全国3,100校余りの生徒と、
イギリスをはじめ世界9か国からの支援により、像が完成しました。
像の真下にある石碑には、
「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです
世界に平和をきずくための」 と刻まれています。
内部には鐘があり、風鈴のように、
かぜがふくと中にぶら下がっている金の折り鶴がゆれ、
鳴る仕掛けになっています。
かつては、真下の石碑の周りにうずたかく折り鶴を置いていましたが、
雨よけや繰り返される放火事件対策を兼ねて
2002年に折り鶴置き場が周りに配置されました。
像の奥に見えるのが折り鶴置場です。
中には折鶴で絵をかいたりしてあるものもありました。
海外から送られてきた千羽鶴や
ここを修学旅行で訪れた小学生や中学生が作った
真新しい千羽鶴もありました。
かなりの頻度で倉庫に移しているそうですが、
すぐに千羽鶴置き場はいっぱいになるそうです。
原爆の子の像の道路を挟んだ反対側には、
8月6日になると必ずテレビで見る光景が広がっています。
手前には平和の灯(ともしび)が見えます。
平和の灯の台座は、手首を合わせ、
手のひらを大空にひろげた形を表現しています。
このモニュメントは水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、
核兵器廃絶と世界恒久平和を希求するために作られました。
灯の点火は全国12宗派から寄せられた“宗教の火”、
溶鉱炉などの全国の工場地帯から届けられた“産業の火”が
1945(昭和20)年8月6日生まれの7人の広島の乙女により
1964(昭和39)年8月1日に点火されました。
この火は、点火されて以来ずっと燃え続けており、
「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」
という反核悲願の象徴となっています。
平和の灯の正面には原爆死没者慰霊碑が、
真反対側には原爆ドームが見えます。
もう少し公園の中央部に進むと、
誰でも一度は見かけたことがあるであろうモニュメントがあります。
原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)は、
1952年8月6日に建立されました。
建立当時屋根部分はコンクリートでできていましたが、
1985年に作り直され、現在は御影石でできています。
屋根の部分は、はにわの家型をしており、
犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちからこの型にされたそうです。
また、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、
平和都市として再建することを念願して設立されました。
隣には碑文があり、
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
と書かれています。
碑文については主語をめぐるさまざまな議論がありましたが、
広島市は碑文の趣旨を正確に伝えるため、
日本語と英語の説明板を設置し、
「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り
戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である
過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて
全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念する
ヒロシマの心がここに刻まれている」と記しています。
「過ちは繰り返しませぬから」という部分でだいぶ議論があったようです。
「繰り返させませぬから」じゃないのかという意見が出たそうですが、
主語を広島市民や日本人、もしくはアメリカ人にとらわれず、
全世界の人類が「繰り返さない」という誓いと定めたそうです。
中央の石室には、国内外を問わず、原子爆弾に被爆し、
亡くなられた方の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められています。
ここから先ほど見てきた、平和の灯、原爆ドームが一直線になって見えます。
最後に私たちは爆心地を見に行きました。
というのは、私たちは2010年の7月にサイパンと
その隣にあるテニアン島に旅行に行き、
テニアン島にある元アメリカ軍基地で、
広島と長崎に原爆を落とした戦闘機が飛び立ったエイブル滑走路と、
広島、長崎に落とされた原子爆弾が入れられていた格納庫を見てきたので、
65年前にあの場所から飛んできた飛行機が、
あそこにしまわれていた爆弾をどこに落としたのか
自分たちの目で見たくて地図で探していきました。
現在、広島の原爆の爆心地は、相生橋の南西、
島病院であると考えられています。
当初の投下目標は相生橋でしたが、風の影響により流されたとされています。
この相生橋は広島市の中央を流れる太田川が
分岐する地点にかけられたT字型の橋であるため、
特異な形状は、上空からでもその特徴がよく判別できるため、
目標に選ばれたそうです。
原爆ドームは、爆心地から西へおよそ200メートルの地点にあります。
偶然私たちが車を止めた駐車場のすぐ近くでした。
他の原爆関係の建物や慰霊碑などとは違い、
この場所が原爆の爆心地であることを示すモニュメントが
建てられているだけでした。
楽しい、美しい、素敵と感じるいつもの観光とは違い
複雑な気持ちになりました。
12:30 パーキング 出発
広島県に初めてやってきた相方さんのたっての希望で、
日本三景の一つ安芸の宮島に向かいます!
13:10 マクドナルド 到着
今回はインターネットを使うためではなく、お昼ご飯を食べにやってきました♪
意外にミーハーな私たちは、アイコンチキンを全制覇しましたw
13:50 マクドナルド 出発
14:00 宮島口 到着
宮島に渡るにはここからフェリーに乗ります。
JR西日本のフェリー、もしくは宮島松大汽船にて宮島まで約10分です。
料金は両社とも大人一人片道170円ととっても安いですw
14:15 宮島口 出発
フェリーに乗り込みいざ宮島へ♪
宮島とは通称で、本当の名前は厳島(いつくしま)です。
宮島と呼ばれるようになったのは江戸時代以降で、
文字どおり「お宮(厳島神社)のある島」という意味だそうです。
「日本三景」の松島、天橋立、宮島、
私たちはこの宮島で3つを制覇しました。
日本三景として言われるゆえんの宮島の景勝地は
もちろんみなさんご存知の厳島神社です。
世界遺産にも登録されており、厳島神社は「平家納経」で有名です。
また、厳島神社の平舞台は、四天王寺(大阪市天王寺区)の石舞台、
住吉大社(大阪市住吉区)の石舞台と共に「日本三舞台」の一つだそうです。
また、厳島神社といえば海に浮かぶ高さ16メートルの大鳥居も有名で、
春日大社(奈良県)と気比神宮(福井県)の大鳥居に並ぶ
「日本三大鳥居」の一つとされています。
厳島神社のある宮島は、古代より島そのものが神として
信仰の対象とされてきました。
歴史的には、推古天皇元年(593年)、
土地の有力豪族が社殿造営の神託を受け、
勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのに始まると伝わっています。
平安時代末期に平家一族の崇敬を受け、
1168年ごろに平清盛が現在の社殿を造営しました。
平家一門の隆盛とともに厳島神社も盛え、
厳島神社は平家の守り神でした。
戦国時代には、毛利元就が厳島を含む一帯を支配下に置き
大掛かりな社殿修復を行っています。
また、豊臣秀吉も九州遠征の途上で厳島神社に参拝し、
大経堂を建立しています。
現在では人口1800人余りの島に、
日本全国内及び世界中から年間三百万人近い
参拝客及び観光客が訪れているそうです。
また、厳島といえばシカですよね。
厳島のシカは神の使い「神鹿(しんろく)」として神聖視されていますが、
第二次世界大戦後に厳島を接収したGHQの兵士が
ハンティングの対象として撃っていたために一時激減したそうです。
現在島にいるシカは、GHQ撤退後に
奈良公園から人為的に6頭移入されたものの子孫が含まれているそうです。
今ではその時のことが考えられないほどたくさんいますw
そして、ここの鹿は怖いです。
何かを食べていたり、ビニール袋を持っていると、
団体で近づいてきてなかなか向こうに行ってくれません。
1年半ほど前に来たとき、私が標的になり怖い思いをしました;
そんな経験を生かし、途中のお店屋さんでは立ち止まらず、
フェリー乗り場からまっすぐ厳島神社を目指しました。
お土産屋さんがある通りではなく、海沿いの道をてくてく。
参道入り口が見えてきました。
大きな鳥居の両脇の狛犬さん。
笑っているように見えませんか??
参道に入るとさらに鹿さんが多くなります。
こんなおとなしい鹿ばっかりだったら怖くないのに・・・
かわいくじゃれ合っている鹿さんたちも、
この後標的を見つけ、駆け寄っていましたw
神社の入口で入場料を払い、
朱色の柱の並ぶ通路を写真を撮りながら進みます。
海面に移った五重塔がきれいです。
朱色の建物はやっぱり自然の色の中で映えてきれいですよね~
もちろんここでも御朱印をいただき、
正面に進むと、結婚式が行われていました。
ちょうどお賽銭箱の奥で結婚式が行われており、
参拝客はみんな立ち止まって見ていました。
私も見ていると、いつの間にか海に突き出した鳥居に一番近い部分が
立ち入り禁止になっており、
1年半前に来た時も同様に入れなかったのに。。。と、残念がっていると、
式を終えたカップルと結婚式に参列していた人たちが
目の前を通って立ち入り禁止の区域に案内されて入って椅子に着席しました。
んんん?
と思って場所を移動すると、
和楽器を持った衣装を着た人たちがスタンバイし、
音楽が始まると派手な衣装を着、お面をつけた人が神社の正面、
結婚式を終えたカップルの前に進み、舞を踊りだしました。
ラッキーと思い、最後までちゃっかりと見ちゃいました☆
そして、最後に舞を踊っていた人が
お面を外して戻っていくところまで見ましたw
神社の出口を出て、鳥居がきれいに見える浜辺で写真をパシャ☆
もう1枚☆
神社を後にし、お土産屋さんどおりを歩き、
宮島の有名なしゃもじも牡蠣も
広島名物のもみじまんじゅうも買わずにフェリー乗り場へ。
だってシカさんが怖いので・・・
宮島、厳島神社を満喫して、またフェリーに乗り、宮島口に戻っていきます。
16:50 宮島口 出発
広島の観光地を満喫し、少し時間が余ったので、
広島市内に向かう途中にあるアウトレットに行ってみることにしました。
17:35 マリーナホップ~広島フェスティバルアウトレット 到着
・・・想像していたものと大きくかけ離れていますw
あまり服のブランドを知らない私がわかるようなお店は、
1店舗もありませんでしたw
あきらめ、駐車場で携帯を使い本日の夕食の広島焼きのお店を検索し、
向かいます!
18:30 アウトレット 出発
19:15 八昌 到着
広島焼きを食べにやってきました。
メニューはシンプル。
広島では広島焼きのこともお好み焼きというようです。
お好み焼きのそば肉玉と豚平焼き注文しました♪
広島焼きは自分たちでは焼かず、
焼き上げたものを目の前の鉄板に運んできてくれます。
私が子供の頃ここ広島で食べた広島焼きは
もっとボリュームがあった気がしますが、
こちらの広島焼きはだいぶ押しつぶされ、想像する広島焼きより薄めでした☆
広島の味を食べれて満足でした☆☆
20:05 八昌 出発
20:45 スーパー銭湯南の風いいとも湯 到着
本日のお風呂です♪
料金は大人一人350円。
一般とVIPがあり、VIP料金は750円です。
一般入浴でも十分気持ちよかったです☆
ただし、相方さんが今日は特別にお酒を飲んだため私の運転で、
地下の駐車場に止めて、また駐車場から出るのはちょっぴり怖いほど、
駐車場はせまめでした。。。
21:55 南の風いいとも湯 出発
22:10 マクドナルド 到着
本日2回目のマクドナルドですw
今回はいつものインターネット使用のためです☆
25:30 マクドナルド 出発
25:45 広島IC
明日は岡山県に住む私の幼馴染に会うため、岡山市に行きます。
朝から移動するため高速道路に入り、パーキングエリアで寝ることにしました♪
25:55 奥屋PA内にて車中泊
明日、岡山市を観光した後、兵庫にある私の実家に向かいます♪♪
おやすみなさ~いzzz
日本一周 33日目
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