2011年10月1日 土曜日
2泊5日の弾丸エジプト縦断の旅4日目の今日は、観光最終日でもあります。
今日1日ルクソールを観光した後、夜行電車に乗りカイロに戻ります。
ルクソールの町の中を南北に流れるナイル川を挟み、ナイル川の東西両岸に見どころが点在しています。
そのルクソールを1日で見て回る本日の行程は、
午前:ナイル川西岸(王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿、王妃の谷、メムノンの巨像)
午後:ナイル川東岸(カルナック神殿、ルクソール神殿)
と、いっぱいいっぱいのスケジュール。
ただし、日本人の団体ツアーの行程よりは少ないですが(笑)
※要注意 今日は見どころいっぱいなので、日記も長くなります!!
8:30 宿を出発、ナイル川を渡り西岸へ。
8:50 王家の谷に到着。
王家の谷は岩山の谷にある岩窟墓群のこと。
古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、63の墓が発見されています。
新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、紀元前1520年ごろ、トトメス1世によって自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に初めて岩窟墓が建設されました。
その後の長い歴史の中で王家の谷にある墓の多くも盗掘を受けましたが、1922年に発掘されたツタンカーメン(トゥトアンクアメン)王の墓は唯一未盗掘で、副葬品の財宝が完全な形で発見されました。
また、この地が選ばれた理由が王家の谷の裏にそびえる、ピラミッドの形に似た山、エル=クルーン(標高450m)だと言われています。
古王国時代のように財力も労働力もたくさん必要なピラミッドを作ることができなくなったので、ピラミッドに似た山をピラミッドにたとえ、その裾野に王の墓を作ることに決めたのだとか。。。
(上の写真の真ん中より少し右のとがって見える山)
王家の墓の中は写真撮影どころかカメラの持ち込み禁止。
数年前までは墓の中だけ撮影禁止で、墓の外は撮影可能だったようですが、今ではチケットを見せる入口のところにカメラ預け場所があり、それより先にはカメラの持ち込み禁止。
ツアーではバスの中においていく場合が多いです。
ビジターセンターでチケット(80エジプトポンド)を購入し、別料金のカート代を支払い、数秒間カートに乗って王家の墓の入口まで行きます。
徒歩でもいける気がしますが。。。
1枚のチケットで3つの墓の入場が可能。
どの墳墓でも3つ選べます。
ただしツタンカーメンの墓以外。
ツタンカーメンのお墓は別途チケットが必要です。(100エジプトポンド)
ちなみにツタンカーメンの墓は。
1922年にイギリスの考古学者、ハワード・カーターが発見。
ほとんど盗掘されていなかったため、埋葬されたときのままに豪華な副葬品が残っていました。
黄金のマスクや副葬品はカイロ博物館に、石棺とミイラ型棺は墓の中に置かれています。
あまり記憶にないのですが、1年前にツタンカーメンのお墓に入ったので今回はパス。
kazuはそこらへん興味がないので私が行かなくていいなら、行きたいなんて言いません(笑)
私たちはガイドさんのおすすめ通り、というかもう選択肢を与えられず、ガイドさんの言うがまま3つの墓を鑑賞。
1つ目、ラムセス4世の墓。
お墓は王が王位に就いた時点から作り始められ、ラムセス4世は長生きできなかったので、お墓はそれほど大きくない。
色鮮やかな壁画が残り、一番奥には人型棺があり、その棺がおかれている部屋には天空の神ヌト女神と大気の神シュー神を描いた天井画があります。
また、この王の墓はかなり古い時代から知られていて、、入口にコプト語の落書きがしてある。コプト教の信者がシェルターとして使っていたそう。
2つ目、ラムセス1世の墓。
即位していたのは2年ほどだったので、立派な墓を用意する時間がなかったそうです。
中はかなり簡素な感じ。
入口はとっても急な下り坂。
ラムセス1世はラムセス2世のおじいちゃん。
余談。
このラムセス1世さん、死後長い間経ったあと、思いもしない旅をすることになったのです。
ラムセス1世のミイラは盗掘者アブド・エル・ラスールによって盗み出され、王家の谷の対岸にあるルクソールを訪れた観光客にわずか7ポンドで売却されました。
その後、カナダにあるナイアガラ・フォールズ・ミュージアムで動物の死骸コーナーに展示。(それってあり???)
1999年に博物館が閉鎖され、収蔵物がアメリカのアトランタにあるマイケル・シー・カルロス博物館に買い取られた際にファラオのミイラと発覚。
2003年にエジプトとの間で正式な返還の協定が取り付けられ、無事にエジプトに帰国を果たした。
その際、ラムセス1世のミイラにはエジプトからパスポートが発行され、国旗が掲げられ、まるで国葬のように多くの人々が棺の到着を見守ったらしいのです。
現在彼は、ルクソール博物館にいます。
ある意味すごい。
そして、3つ目はラムセス3世の墓。
(ちなみにラムセス2世のお墓もこの王家の谷にありますが、只今修復中だそうで、中に入ることはできません。)
保存状態がけっこうよいお墓。
壁画の色もかなり残っています。
このお墓は、墓を建設中、違う王のお墓にぶつかりその部分が折れ曲がっている、面白いお墓。
かなり長生きしたようで、かなり長い。
そして、一番奥には彼が死んでしまい完成しなかった部屋も見ることができます。
日陰のない王家の谷は朝早めにやって来たとはいえ、暑い。。。
日陰なお墓の中も蒸し暑い。。。
3つのお墓を見終え、唯一の帰り道、お土産屋さんの中を仕方なしにさくさくと歩き、涼しいバスへ。
次はハトシェプスト女王葬祭殿へ。
向かっていると、日本人の団体ツアー同様、なぜかお土産屋さんに寄られちゃいました。
しょうがなしに外でアラバスターという水晶?で作る工芸品の作り方の説明を聞き、中のお土産屋さんへ。
何も買わない私たち(笑)
一緒のグループにいたアメリカ人男性が、「早く行こう」と、ガイドをせかし、さくさくバスに乗りこませます(笑)
さすが!!
日本人にはできない技です(笑)
お土産屋さんからすぐにハトシェプスト女王葬祭殿に到着。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、古代エジプト唯一の女性ファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿。
崖をくりぬいて作られた三層構造の建物。
後に(血のつながらない)息子トトメス3世によって壁画や銘文が削られるなど破壊を受け、近年修復されました。
ここで、葬祭殿とは。
古王国時代の葬祭殿はピラミッドに付属し、再生復活の儀式が行われました。
新王国時代には礼拝用の建造物として独立して建てられるようになり、来世を快適にするための品々が奉納されました。
こちらのハトシェプスト女王葬祭殿、ある事件でも有名になりました。
1997年11月、ルクソール事件と呼ばれるテロ事件の現場となり外国人58人を含む62人が亡くなる事件が発生し、その中には10人の日本人も含まれました。
入口で手荷物検査を受け、また王家の谷と同じカートに乗って葬祭殿の参道前まで連れて行ってもらいます。
そこからも葬祭殿まではかなり遠いのですが。。。
ハトシェプスト女王は遠いプント地方(いまのソマリア北部とされる)と交易して香料,没薬,乳香などを輸入するなど,エジプトに富をもたらしました。
参道の入り口には、ハトシェプスト女王が交易をおこなった際に、持ち帰らせた木が植えられて…いました。
枯れてしまったようで、根元だけあります。
2階と3階部分。
3階のハトシェプスト女王のオシリス柱。
女性のハトシェプス女王が男性の姿をしています。
3階の奥の部分。
ほとんど残っていません。
3階から見た正面、ナイル川の方向。
ナイル川の向こうの真正面にはカルナック神殿があります。
2階部分にあるハトホル女神の顔が彫られた柱。
一部分だけ残るレリーフ。
ハトシェプス女王葬祭殿の横に立っていたメンチュヘテプ葬祭殿。
かなり荒れていて現在修復中。
暑くて歩き回るのがしんどくなってきました。。。
余談。
地元の人の“ハトシェプス”の発音は「ハトシェプス」ではありません。
“Hot Chicken Soupホット・チキン・スープ”とホ・チ・スを強めに発音すると地元の発音に近くなります!
次は王妃の谷。
やっと今回エジプトに来て私が2回目ではなく初めて行くところだっていうのに、暑くて途中でへばっちゃいましたw
王妃の谷は、ファラオが王家の谷に埋葬されているのに対して、王妃や王の親族たちの墓が80基以上発見されています。
ラムセス2世の愛妻だったネフェルタリの墓もありますが、2011年10月1日現在、修復中で見学不可。
その他に見れる墓を2つ見ましたが、王家の谷よりきれいにレリーフが残っていました。
こちら、必見です!
ただし、王家の谷同様暑いです。
そして写真撮影もカメラの持ち込みも禁止です。
午前の観光最後はメムノンの巨像。
2体のアメンホテプ3世の像。呼び名はギリシアの伝説、メムノン王に由来していて、高さ約18m。
元々は、背後に同王アメンホテプ3世の葬祭殿が控えており、その入口の部分でした。
葬祭殿は第18王朝ファラオ・メルエンプタハが自身の葬祭殿の石材調達のため破壊したそう。
そんなんでいいの??
こちらの観光は簡単。
車から降りて写真を撮っておしまい。
カメラを持っていないkazuなんて車から降りていませんw
長かった午前の観光を終えいったん、ホテルへ。
チェックアウトしているので部屋には入れませんが・・・
14時からの午後の観光に備えて昼食。
捜し歩くのがめんどくさかったので、ホテルの近くのケンタッキーへ。
それにしても、ルクソールの客引きがエジプトで一番、めんどくさいかもしれません。。。
14時、最高に暑くなった街に観光に出かけます。
午後の観光はルクソール東岸の2つの神殿。
まずは、カルナック神殿へ。
カルナック神殿は、アメン大神殿を中心に、南のムート神殿、北のメンチュ神殿を加えた大規模な神殿。
中王国時代から新王国時代、さらにはローマ帝国時代の遺跡も残っている、紀元前2000年から1世紀ごろまで約2000年にわたって約500m四方の神域に歴代の王が関与して増改築を重ねたエジプト最大級の神殿。
ナイル川の西岸の正面には歴代の王が眠る「王家の谷」がある。
塔門は第1塔門から第10塔門まである。
ビジターセンターを抜けた先には広大な参道へと続く広場。
(このビジターセンターの中にはカルナック神殿の修復前と修復中の写真が飾られているので、時間があればぜひ見てみてください♪)
神殿と逆の方向を見れば目の前にはナイル川がある。
昔はこのナイル川がカルナック神殿のすぐ近くまで流れていたそう。
第1塔門前のスフィンクス参道。
スフィンクスの頭は羊の頭をしている。
第1塔門。
途中で建設が止められてしまったとのことで、左右の塔の高さが違う。
この裏側にはこの塔を作った時の様子がわかる、足場が残されている。
第2塔門の目の前に立つラムセス2世の巨像。
第2塔門にはナイル川が氾濫した際の水位が見て取れる印があります。
第2塔門を抜けると134本の石柱が並ぶ大列柱室があります。中央通路脇の石柱は高さ21メートルの開花式パピルス中が並んでいます。
きれいに装飾されていた柱はナイル川の氾濫で表面が削られ、上を見上げると少しだけ装飾が残っています。
ビジターセンター内にあった修復前の大列柱室の写真。
第3塔門を抜けると、トトメス1世のオベリスクが右に、そして左奥には第4塔門を抜けた先にあるハトシェプス女王のオベリスクが見えてきます。
(写真は光の加減で違う角度から撮影)
トトメス1世のオベリスクは2本立っていました。
もう一本はというと。。。
台座が残るのみです。
ハトシェプス女王のオベリスクも2本立っていました。
もう1本は移動され、違う場所に横たわっておいてあります。
実はここの第3塔門と第4塔門の間には、トトメス1世とトトメス3世の4本のオベリスクが建立されましたが、現在、残っているのはトトメス1世のオベリスク1基のみ。
このなくなった3基のオベリスクのうち1基は行方が知れています。
覚えていますか?
トルコのイスタンブールの歴史地区にあるブルーモスクのすぐそばにあった3本のオベリスク。
そう、そこに立っている1本が、元々はこのカルナック神殿にあったオベリスクなのです。
おお~と、感動。
ちなみにハトシェプス女王さんのオベリスク。
他の石柱などに比べて、きれいに装飾が残っています。
実は、ハトシェプス女王葬祭殿でも出てきた血のつながらない息子トトメス3世。
ここのオベリスクも壊したかったそうですが、神官たちになだめられて、オベリスクを見れないように周りを囲ったそうなのです。
これが逆に、ナイルの氾濫から守られることになり、上部にはハトシェプス女王の貴重なカルトゥーシュも見れます。
第6塔門のおくには中王国時代の神殿跡があります。
第3塔門と第4塔門の間の右側に降り曲がると第7塔門があり、その第7塔門を抜けた先に“聖なる池”と呼ばれる池があります。
昔はこの池は湧水が出ていたそうですが現在は循環装置が・・・。
この池の前にはでっかいフンコロガシがいます。
ここエジプトではフンコロガシはスカラベと呼ばれ、再生を意味するそうです。
このスカラベの石像の周りを7周すると幸運になれるという言い伝えが。
これにkazuが挑戦。
周りは中国人だけ(笑)
このルクソールを観光しているのは中国人と韓国人だけではないのかというほど、2つの国の団体様がいっぱいです。
大きな敷地内の壁や柱一面のレリーフも素敵。
とっても詳細です。
大きなカルナック神殿を満喫し、次はルクソール神殿へ。
ルクソール神殿に入る際、チケット売り場で、同じグループにいたモロッコ人のおじさんが私の前でチケットを買っていました。
(なぜか英語ツアーなはずなのに、英語とアラビア語のツアーだったのです。。。)
それより料金。
私たち“外国人”の入場料は、50エジプトポンド(約600円)、アラビア人の彼らはなんと、2エジプトポンド(約25円)
。。。。。
ここだけではありません。
すべての観光地で、彼らは私たちとは違う、簡易的なチケットを持っていました。
分かっていましたよ。
もちろん、値段が違うことは。
でも、2と50って・・・。
25倍だよ!!
はあ~。。。
それはそうと、日が沈んじゃう!!!
アメリカ人のおじさん客はガイドをせかします(笑)
それでも、ガイドさんがいっぱい説明してくれるので、彼は勝手にどこかに写真を撮りに行っちゃいましたw
ルクソール神殿は、元々、カルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿としてエジプト第18王朝(紀元前1500年ごろ)ファラオ・アメンホテプ3世によって建立されました。
アメン大神殿とはスフィンクスの参道で結ばれていました。
ルクソール神殿の前には今もスフィンクスが並んでいます。
神殿入口はラムセス2世により建てられ、入口にはラムセス2世の坐像、その手前にはオベリスクが1本立っています。
オベリスクは本来左右2本ありましたが、右側の1本はパリに運ばれ、現在コンコルド広場にあります。
坐像の横のラムセス2世の顔の像。
かっこいい。。。
この神殿内には奇妙な建物があります。
どこかしらガウディの作品に似ているように見えるこちらの建物は、13世紀に建てられたモスクです。
現在もモスクとして使われています。
なにも壊さず建てたからと言って、どうかと思うのは私だけでしょうか。。。
このモスクがあるのがラムセス2世の中庭。
そしてその奥には大列柱室。
2列14本の開花式パピルス柱が並んでいます。
ここにはあの有名なツタンカーメンの像があります。
彼もこの神殿の建設にかかわりました。
さらに奥にアメンへテプ3世の中庭。
64本の開花式パピルス柱が並ぶ広い空間です。
あああ・・・太陽が・・・
この奥にはまたしても、それってあり?というものが。
皇帝崇拝の場と呼ばれる、ローマ時代に改装された円形ドームや、レリーフの上に描かれたローマ人の壁画があります。
・・・なんだか嫌だな。。。
そして、最後にはもうそれも歴史か・・・と諦めれるものが。
こちらの2つの壁。
実は違いがあります。
オリジナルは左側。
偽物が右側なのです。
アレキサンダー大王の間と呼ばれる、こちらの後から足された部屋の壁にはオリジナルをまねて彫られたレリーフがあります。
でも、一目で今までのレリーフと違うことがわかります。
やたらと筋肉の線や足の関節など凹凸がつけられています。
さあ、問題です。
こちらはオリジナルでしょうか、偽物でしょうか?
正解はオリジナル。
入口に戻る際についに、日の入り。
何とか暗くなる前に神殿を見れました。
これで今日の長かった観光は終了。
そして、この後ホテルで少し休んだ後、23時の夜行電車に乗ってカイロまで戻ります。
時間より30分ほど早くやってきた夜行電車に乗って、
夜ご飯が出てきた後はすぐに夢の中へ・・・